保護中: 「私は差別などしない」という話し方が社会的弱者をさらに傷つけているのでは?という視点

5 5月

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習得できると保証されている手話言語を

24 1月

2022年1月22日(土)のこめっこシンボジウムを視聴後の個人的なまとめ

意見

上の写真から分かるように、第二部では指定討論とパネルディスカッションがありました。

それぞれのパネラーさんの討論により思うことがありましたので、思うところをまとめます。

「耳鼻咽喉科医」の視点から」

では南先生が聴覚障害児のための家族を中⼼とする早期介⼊(Family-Center Early Invention)について説明されていました。10項目の基本原則というものがあります。パッと目を通してみてください。

南先生のFCELの3ページ目より抜粋しました

この10項目の原則において、思うところを下にまとめます。

原則1を見ると「早期に、タイミングよく、公平に、支援につなげる」とありますが、これはつまり「公平的なアクセス」が大事だということ

ここの「公平」が英語でなんというのかをみてみましょう。Equitable(公平さ)です。Equitable(公平さ)の名詞形はEquity(公平)です。米国でも、よく同じ意味だと間違われがちな英単語、Equity(公平)とEquality(平等)の違いを知っていますか?

左の絵は平等、右の絵は公平を

上の写真を見てわかるように、平等と公平は全く違う意味を持っています。

平等は、すべての人にまったく同じ量の資源を提供することです。(例:ろう難聴・人工内耳装用児に同じ教育資源を提供)
公平は、それぞれのニーズに合わせて、資源を提供することです。(例:ろう難聴・人工内耳装用児にそれぞれのニーズに合わせて教育資源を提供)

このように二つの言葉は似ていますが、全く相反したアプローチだということがわかります。Equitable accessとあるので「公平的なアクセスを」ということで、聴力の軽度・重度、重複のある・なしに関係なく、(必要とする)サービスに公平的にアクセスできる環境を、という意味も含んでいることを強調したいです。

次に原則3を見てもらいたいと思います。

原則3では「十分な情報提供とそれに基づく家族の選択、意思決定」とありますが、患者の目標と価値観に合わせた決定を尊重するということ

英語を見ると「Informed choice」と書いてあり、これはサービスをうける親御さんが、自分の目標と価値観に合う決定を下すことができるということを意味します。治療を受けることによって得られるであろう利益が、今受けている損害よりも上回っているかどうか、が一般的な判断の基準になるだろうと思います。治療を受けないことで残された人生をより豊かにすることができるだろうと、患者が判断した場合、それは尊敬されるべきなのです。

それと同じことがろう難聴・人工内耳装用児にも言える、と思います。

原則4では「家族への社会的および精神的なサポート」とあります。ぜひ二つの世界、二つの言語で生きていくという視点を。

ここではろう・難聴・人工内耳装用児の子供がこれから二つの世界で生きていくのだという視点を親御さんに紹介するべきだと思います。聴覚活用をする子でも、もう一つの世界を知ることは、その子にとってマイナスにならない、というメッセージが医者からもあるべきです。親御さんがお医者さんからそうしたメッセージを聞くことは大事だと思います。その主な理由は次の原則5につながります。

原則5では「家庭内での親と乳児期の対話」とあります。ぜひ手話言語の推奨を。

人工内耳を受けれる年齢は早くても10ヶ月から12ヶ月と書いてあります。少なくとも6ヶ月以上補聴器装用し、言語訓練を行なった後に音声言語の獲得が不十分と判断されたら、手術を受けることができるのですよね(2022年1月の現時点で)。

その間に、親御さんに「手話をしてください」とお薦めするべきです。酒井先生が言っておられたように、手話は自然言語で目から自然に入ってくる(アクセスできる)言語です。武居 渡先生が手話言語の言語発達の段階は、音声の言語発達の段階とほとんど同じとおっしゃっておられました。

人工内耳を受ける手術を待っている間に、手話をすれば、手話による喃語、共同注意、視覚的な音の音韻認識を深めることができます。

家庭内での親と乳児期の対話をより深いものにするために、手話を知らない親への手話教室や、メンターが家に訪問し、乳児と対話する機会が必要だと思います。これは手話を知らない聴親にとって精神的な負担を少なくリソースになると私は思います。

またこめっこのように地域での乳幼児期手話言語獲得習得支援事業へのリファーをするべきです。

原則7では「専門性の高い療育者」とありました。ぜひ手話言語の発達や心の発達を見る専門家を。

英語だとQualified provider。なので、手話言語の発達を見るメンターや心の発達を見る専門家などが、ここに入ると思います。日本では明晴学園の日本手話版のVCSLという発達段階チェックリストが利用できるのでは?と思います。

また地域型保育事業を使用して、保育士さんが家に訪問に行くという形もあるのでは?と思います。この場合、連携施設が必要で、こめっこの早期相談支援 ひだまりMOEのような施設が連携するべきだと思います。

原則8は多職種連携チームとあり、英語ではCollaborative Teamworkとなっています。ぜひ用語の共有や、効率の良い個々のケースの管理方法と管理システムの確立を。

つまり乳児を囲む多くの人たち(専門家や医者、団体など)が一丸となって支援する制度が必要だという意味です。すなわち用語の共有や、共有する用語でケースを管理する方法など、構造的でなおかつスムーズな管理システムの確立が必要だと思います。

これが次の原則8、原則9につながると思いました。

「言語学・バイリンガルという視点から」

古石先生は手話で育児したい親の会の声を代弁してくださった感じ。個人的には下のポイントが印象に残っています。

  • バイリンガル教育という観念から見れば、両言語(音声日本語と日本手話)を教えていくという見方が最も妥当。
  • 言語として習得できると保証されている言語をどうして早期から教えないのか?

早期に手話を教えることは、本当に大事なことだという話。音声言語の発達を妨げるという事実がなく、むしろその逆だということ。そういう話をされたときに、やはり手話が本当に障害発達に備えて本当に大事だという観念を親御さんに知ってもらう機会がもっとあれば良い、と思いました。

Twitterでも一部の方とお話ししましたが、全国の手話言語獲得習得支援事業をまとめたパンフレットのようなものがあればいいなーと思います。

「手話言語教育の観念から」

最後のパネラーさん、前川和美先生は、NHKで手話監修をやっておられることもあり、先生がやっている色々な取り組みや、日本手話を言語として教えていくとはどういうことなのか、いろいろな情報が盛りだくさんの講演内容でした。言語学者としては、ほうほうと思うところが多く非常に面白い内容でした。

でもろう難聴児・人工内耳装用児の親に対して、「どうして手話が必要なのか」そして「手話で育児するためにどうしたらいいのか」前向きな提案を知りたかったですね。また手話で育ってきた当事者ならではの見解があるだろうと思います。

最後に

手話で育児したい親の会は、保育の5領域について、いくつかの点がおなざりにされている点について懸念しています。保育の5領域とは?

  • 健康  心身の健康に関する領域
  • 人間関係 人とのかかわりに関する領域
  • 環境  身近な環境とのかかわりに関する領域
  • 言葉  言葉の獲得に関する領域
  • 表現  感性と表現に関する領域

今回は5つある領域のうち一つだけ(人間関係 人とのかかわりに関する領域)をかいつまんで、お話しします。

しゅわろうちゃんねるのビデオでは、ろう学校に通うろう難聴・人工内耳装用児同士のコミュニケーションがスムーズではない点について指摘しています。動画に字幕ありますので、未視聴の方はぜひご覧になってください。

要約しますと、それぞれに違うコミュニケーション手段の相違(例:ビデオでは手話言語使用児と音声言語使用児でした)により、お互いに話し合いをしたり、歩み寄るための会話ができないのですね。5歳、6歳になると情緒面において豊かになります。悲しい話を聞いて悲しんだり、感情移入ができるようになりますし、自我を抑える、我慢したりするなど精神的な成長をふむのです。

早期発見・早期療法によって、残存聴力の程度に関係なく、日本手話を身につけていこうという姿勢があれば、このようなコミュニケーション手段の相違による問題、また学ぶ機会の喪失、すなわち自分の気持ちを表すことで精神的に成長できる機会が補えるのでは?と思います。

人間関係、人との関わりに関する領域、すごく大事です

動画へはここから

最後に、保育の5領域を大切にしながら、子供のニーズが一番の目標として設置されるべき、ということを強調したいです。おそらく多くのろう・難聴・人工内耳装用児を持つ親御さんにとって、お子さんは初めて出会うバイリンガル児「聞こえる世界だけでなく、もう一つの異なった世界をもつ人」だと思います。音声言語に焦点を当てたアプローチは安心感をもたらすものかもしれませんが、保育の5領域のいくつかがおざなりにされては、困ります。幅広い情報に基づいた判断のもとで、保育の5領域がきちんと大切にされてほしい、と思っています。ぜひ習得できると保証されている手話言語を

最後まで読んでいただきありがとうございました。誤字脱字お許しください。

ろう学校の役割を問う

16 1月

〜ズーム対談会よりまとめ〜

パブコメの件、親視点でぶっちゃけますズーム対談会(2022年1月3日に終了)にご来場いただいた皆さん、ありがとうございます。

「ん?なんだなんだ」という方さん、「初めまして」。

一月三日のズーム対談会「パブコメの件、親視点でぶっちゃけます」の司会を努めました。

ズーム対談会の情報(申込みはもう閉め切っています)を確認したい方は写真をクリック

手話で育児したい親の会手話で育児したい親の会

ズーム対談会では、今、ろう・難聴児を子育て中の親御さん三人がそれぞれ三つの質問に答えました。

質問1:親視点で自分の子供に大切だと思っているものは?聾学校で?聴学校で?

質問2:親視点で基本方針(案)を読んで思ったことは?欠けているものは?

質問3:基本方針に対して、これは追記した方が良いと思うもの、その理由

このズーム対談会の全体のビデオ(字幕付き)をご覧になりたい方はこちら(syuwaoya@gmail.com)まで件名に「手話親メール希望」と明記の上、メールをお願いします。事前に登録してくださっている方は引き続きそのままアーカイブ動画へのリンクをお待ちください。

対談会では司会という立場でしたのでここでは個人的な考えとまとめを綴っていく立場です。

まとめその1:ろう学校へ行くメリット

三人の親御さんが一致して言っていた聾学校へ行かせる理由は「一生付き合える仲間と出会えるから」でしたね。色々な問題点や課題点はあるけれども、ろう学校へ行かせることで、長い人生の中で、差別や偏見にぶち当たった時に戦える仲間と出会えることは一生のメリットだと。これは皆意見が一致していました。

だからろう・難聴・人工内耳装用児をお持ちの親御さんには、あとあと健常の学校へ行くようになっても、ろう学校の文化祭や、地元のろう者による講演会などに参加させることで、ろうコミュニティと接点を作って欲しいですね。それかろう学校にいる同級生たちと定期的に会うとか。

また他のメリットとしては、自分らしく伸び伸びできるというのがあるのではないでしょうか?

コーダTVさんの「耳が聞こえない両親に聴者との関係ついて聞いてみた 手話と口話での会話です」という動画では、ろう学校と聴学校の経験が語られています。ぜひ試聴してみてください。⬇️の写真はろう学校に通っている子の方が自己肯定感が強い傾向があると、言っているところをスクショしたものです。

スクリーンショットです。動画へはこちらへhttps://youtu.be/sm2Ei9LEfuc

まとめその2:ろう児・難聴児を持つ親御さんへのサポート

私がパネリストの三人から話を聞いて驚いたのは「ろう・難聴・人工内耳装用児の将来が心配だ」という相談を親から受ける、という話。

お医者さんから「あなたのお子さんは耳が聞こえていません」そう言われて目の前が真っ暗になった、というお話、よく聞きますよね?

それに対して、ズーム対談会のパネリストさん(三人とも)は、みんなショックを受ける必要はないのだ、と言っていたのが印象に残っています。この見方を理解することは、ショックを受けている最初のうちは、きっと理解し難いかもしれません。聞こえていない自分の子供の状態を、「耳が聞こえにくい、聞こえない子」ありのままのその子を受け入れられるようになるまで時間を要するとおもいます。情報収集したり。色々な人から話を聞いたり。ただでさえ育児でバタバタしてるのに親にかかる負担って大きいんじゃないかな?と思ったりします。

聞こえていない自分の子供の状態を、「耳が聞こえにくい、聞こえない子」ありのままのその子を受け入れられるようになるまでのプロセスって、時間がかかりますよね。その流れの中でろう学校の役割って大きいと思います。

ろう学校はろう、難聴、人工内耳装用児の親への情報提供において、色々な耳が聞こえない人をもっと巻き込むべきです。不安に揺れている親に対して、「大丈夫ですよ。子供は二つの世界ですくすく育ちますよ」という共有のメッセージがあるべきです。聴覚活用のアドバイスだけじゃなくて。

色々な「耳の聞こえない」あり方があるのだということを知ることは、そのろう・難聴児・人工内耳装用児にとっても、気持ち的に楽だと思います。これは対談会でも話題になりましたね。ロールモデルでしたっけね。耳が聞こえなくてもこういう仕事してる人もいるっていう話、手話は大事だという話、ろう学校で是非してほしいです。また聴者にありがちな着想成功例(話せる人)だけを呼んでお話ししてもらうのではなくて、色々な耳の聞こえない人の生き方を見せてほしいです。

二つの世界と二つの言語で生きる子なので、大丈夫ですよっていうスタンスの方が「聴覚活用をしないと話せるようにならない」と言うよりは良いと思いませんか?これは次の話につながります。

「人工内耳か手話の二つのどちらか」もしくは「聴覚活用による教育が先、手話は後」という話が多いのはなぜなのでしょう?なぜ二つともやるという思考にならないのはなぜなのでしょうか? 二つの世界、二つの言語を持って生きていくのだから、どちらかを選べという見方やスタンスは時代遅れで見苦しいと、私は思います。手話言語の位置がもっと音声言語と同じ扱いにだったらもっと素晴らしいと思うのだけど。

人工内耳装用児にも手話は必要なのでしょうか?必要だと思いますよ。

下の写真は【手話の危機】人工内耳は本当に100%聞き取れるようになる?というタイトルの動画で、ユリマガールというYoutuberによってアップされました。

https://youtu.be/1nvfamahtJg

動画からわかるように、人工内耳装用児にとっても手話は大事だと言うことがわかります。

私たちが力説するまでもなく、コミュニケーションをするときにストレスのない子供の表情を見てください。きっと幸せそうな顔をしていますよ。

中等難聴の娘と手話」では、中途難聴でも手話が必要だと言っていますので、こちらも宜しかったら覗いてください。

また、対談会では片親がキャリアを諦めなければならないという状況をなんとかしてほしいという声もありましたね。共働きが増えているこの現代社会の流れの中で、この状況はまさにろう・難聴・人工内耳装用児を持つ親御さんへのサポートの欠如を示唆していると思います。

*早期教育・療養のために片親が子供を連れて学校に通わなければならない。

まとめその3:手話を知らないろう学校の教員が多い問題

ろう学校にいたほうが一生の友達に出会えたり、健全な心の発達があるから、と言ってろう学校に通わせる親が多いかと思ったらそうではありません。世の中の流れはインクルージョン。聴者の世界で生きていけるのならば、そのほうがいいという考え方の方がメジャーだと思います。そういった流れも手伝ってインテグレーション教育という選択をするろう・難聴・人工内耳装用児さんと親御さんも少なくありません。

でも全ての人がインテグレーションの環境に適応できるわけではありません。適応できても子どもにかかる精神的な負担は大きいでしょう。バーンアウト問題や、健全なアイデンティティーの育成が難しいという研究もあります(上農, 2003)。

ある人工内耳装用者である方が、「人工内耳がなくても」というタイトルで当事者としての思いを綴っておられますので、ぜひご覧ください。文章によれば、人工内耳装用者の半分が人工内耳への満足度は低いと答えたと言っていますのでこれは驚きですね。

1)専門性は何処へ?

話を戻して、子供が伸び伸びと成長していくための場所となるべきろう学校では、従来からの問題を抱えています。その一つが専門性が確立されにくいろう教育です。

ろう学校の先生になるには特別支援学校の教員免許を取る必要がありますが、ほとんどの履修生がろう教育について学ぶ機会もなく、手話研修の経験もない状態で、特別教育教員免許を取得します。なのでほとんどの教員がろう学校についたときに手話を知らない問題に直面するわけです。またろう学校の教員にも任期というものがあり、手話ができるようになったと思ったら別のところに配属となって、なかなか良い教員が育たないという問題もあります。

そして手話ができない教員がいるという状況はこういうような問題や状況を生み出します。

手話のできない教員がいるとはどういうことか

このように、算数の時に「位」という手話単語を間違えたことによって子供が余計に混乱するという現象が起きるのです。

またろう教育について、手話言語について学ぶ機会がないということは、教員からの2)という問題をも生み出します。

2)聴力活用による指導を強制する。

特に就学前の早期教育に関わる教員さんは聴覚による活用を強調してしまうかもしれません。無知によるものかもしれませんが、やりすぎは人権を侵害することになります。

「ろう学校の教育相談で辛い出来事がありました」

上の動画では教員が補聴器をいやがる子供に馬乗りになって装用させたという話です。このように専門性の欠如はこうした形で、心的外傷を生み出してしまうことがあるかもしれません。

度を越した聴覚活用を強調する教育を繰り返すことはやめてほしいものですね。早期の頃からの聴覚活用が大事だという考えには反対しませんが、だからと言って馬乗りをして良いという理由にはなりません。だからといって発音練習の時に「間違ってる」と言い続け、子供の自尊心を傷つけて良いと云う理由にはなりません。専門の教員ならば、教育者として、子どもを一人の人間として扱い、パーソナルスペースも守っていただきたいですね。

ろう学校の役割とは

ろう学校に、更なる専門性を持った教員、手話言語と聴覚活用のバランスが必要なのははっきりしています。

本来ならばクッションという役目を果たすべきろう学校が、手話を活用する子にとって落ち着ける場所でないというのは悲しいことだと思います。ろう学校に働く教員はみんな手話言語について学ぶ機会があるべきだし、ろう教育(もしくは聴覚・言語障害教育学科)という専門学問をきちんと勉強した教員が教鞭を握るべきだと思います。

少なくとも補聴器を嫌がる子に馬乗りをする教育をしてはいけないし

数学の「位」という手話単語をきちんと正しく表現できる教師に出会いたいものです。

手話の技巧がまだまだでも、親から、ろう者から「手話の表現、間違っていますよ」「あ、そうですか」と受け止めるぐらいの謙虚な姿勢を持っている教員にあたりたいものです。

と、ここまで色々と述べましたが結局言いたいことは何かと言いますと、ろう学校では本来のあるべき姿で本来の役割を果たすべきだろうと思いますね。ろう学校こそ、手話の大切さを。

今回のズーム対談会でわたしはこのようなことを考えたのでした。

よく言われる「ろうの世界は狭い」について

4 10月

私はいつも目を輝やせながら「手話の世界に魅了されて…」と、いう聴者に出会うと、

あたらしい世界へこうこそ!という歓迎する気持ちと、この人はどこまでこの世界に付き合ってくれるのかな?という気持ちがいつも交差する。

出会った初日、目をまんまるさせ、硬直しっぱなしだった子がいたとする。そうすると、こりゃいかん、この人はすぐに(この世界から)いなくなるかもしれんな、と思ってしまう。

しかし例外もある。

ある時、そういった子が、私の知人の男性を連れてきて、「この人が彼氏で….」と紹介してきて、すごく驚いたこともある。これはうまくいって、ろう者の世界にやってきた短期滞在者・旅行者が、この世界に住む人と出会って、恋に落ちて、私たちの世界の一員になった、というケースだ。

逆に初めから手話の技巧などもしっかりしていて、これはいけるかも、と好意的だった子が、突然ふと来なくなったりして、びっくりしたこともある。優しい人は、何も言わずに去るので、どこかで、誰かさんとゴタゴタしちゃったかな?ごめんね、と心の中で、いつかどこかでまたのご縁があればいい、と願う。

かといって、こっちの世界に長くいる人に、出会った時に感じた印象にパターンがあるかと思ったら、そうでもないので、聴者といってもかなり色々な人がいるのだな、と思っている。

ある程度、こっちの世界に長くいる人だと、ろう者の友達がたくさんいて、共有の友人について、話題を共有することもある。

古株さんなんかは、私たちに「あの団体にいたのね、ならあの人は知ってる?」「〇〇学校といえば、XXXXさん知ってる?」という、この狭い世界ならではの話題を繰り出してくる。そういう人たちに対して私は勝手に「同志」であると思っている。こういう時は大体、私だけでなくて、周りの人もこの人は特別と、安心感と信頼感を持っていることが多い。

古株さんがちょっとつまずいて、失敗したとしても、周りのろう者はそんなに怒らない。他のところで色々尽くしてもらったり、色々動いてくれていることを、私たちは知っているからだ。状況によっては面倒なことになることがあるが。人間だもんね、そういうこともあるさと思ってしまう。

でもこちらの世界の事を知っていても、その周りでウロウロして、なかなか踏み込んでこれない人たちもいる。

ろうの世界を訪れている旅行者、短期滞在者たちに、こちらの世界が「どれだけ狭い」かを力説したい。今日はそういう投稿だ。

こんな事を言うと世界は狭いといっても、世界というのも人によって異なるのだから、あまり根拠的な発言ではない、と反論してくる人がいるかもしれない。そういう人たちに伝えたいのは「ろうの世界が狭い、のはそれなりの根拠や理由があるのだ」と(数値的なデータの話はまた今度)。

ろうの世界の新参者は、こちらの世界では、「会うことは二度とないだろうと思っていた人が思ってもいなかった形で再会する」確率がとても高いということを知らないだろう。

ここで私の友人の一人であるCさんとのことを書きたい。

私が大学院に在籍していたときのある夏休みのことだ。

私は住んでいた家の前にあった椅子に腰掛けて外を眺めていた。そのストリートはギャロデット大学に続く道で、たまにろうの学生さんを見かける。忙しい時期には週に一回は知り合いとばったり出会ったりして、小話をするということも珍しくはない。

私が腰掛けていた時は夏休みだったから、知り合いと出会うという確率は低かった。なのに私は知り合いの顔を見つけた。K君だ。K君は遊び上手な人で、いつも友達に囲まれている。どこかで「K君と一緒にいるとすごく面白いんだよ。K君と友達だなんてすごくクールだね」って言われたこともある。K君の後ろに3人知らない顔が並んでいた。気づくかな?とみていたら、K君の目が私の顔を見つけてパッと明るくなった。手を振っている。私も振り返した。K君は「ここに住んでるのか?知らなかったよ」というと、後ろにいた3人の女の子を紹介してくれた。3人ともすごく可愛い子だった。1人はスウェーデン生まれ、アメリカ育ちのブロンドの女の子、その隣でブルネイの髪の女の子がいて、その子はK君のことが好きそうだった。その隣で赤毛の髪の毛を一つにまとめて、すごくテキパキとしたアメリカ手話をする子がいた。名前を聞くと、Cさんという人だった。これがCさんとの最初の出会いだった。この時は私もCさんも、いつか再会するとは思っていなかったし、当時、私は大学院が終わったら日本に帰るとも言っていた。

その日、私たちは近所の無料のプールに行って、たくさん泳いで、昼ごはんを食べた。Cさんは三人の中ですごくコミュニケーション力が高かったからか、拙いアメリカ手話の私にたくさん話しかけてくれた。フライドオニオンを胸がやけつくぐらい食べて、そのあとはK君の家でゲームをして遊んだ。私は宿題があるからと言って、暗くなる前に帰った。Cさんとはその年、それっきりで二度と会うことはなかった。

数十年後、子供を産んだ後、私はCさんと再会を果たした。それも思ってもいなかった形で。子供と一緒に学校の教室に入ったら、Cさんがいた。最初はどこかで見た顔だと思ったが、Cさんとは思わなかった私は、どこが娘の教室なのか?と尋ね、Cさんは私の顔をまじまじを見つめて、「私たち前に会ってるよね?K君とプール行ったじゃない?」と言った。そして続けて「私、ここで教師やってるの。あなたの娘の先生よ」と言った。このように再会した時、私たちはお互いにびっくりし、「ろうの世界は狭いね」とお互いに言って笑い合ったのだった。

ところでCさんには甥がいる。甥の母親は手話通訳者だった。名前はJさん。Jさんは私がラボにいた時すごくお世話になった手話通訳者さんだ。後になってCさんからJさんの名前を聞いた時、私はすごく驚いた。これも後になって分かったことだが、Cさんはデフファミリーで、あちこちに親戚がいる。親戚の一人は大学の教授だし、Cさんの両親は学校の先生だったし、叔父なんかは校長先生だったりするのだ。だからCさんはいつも言動にすごく気を遣っているようだった。たとえ話題がCさんに全く関係のないことだったとしても、彼女はいつも気をつかって人と接している。その例の一つがよくわかるエピソードを書こう。

ある時、私とCさんはバーにいた。ろう学校の資金活動の調達でイベントを開催していた。Cさんがバーで「いいなー」と思って話していた相手が、Cさんの兄の生徒だと分かった時(Cの兄は某大学で教授をしている)、すぐに「彼はダメだ。兄と近すぎる。」と言って、帰ってしまった。その光景を見てなるほどなぁ、と思った。私も経験したことがある光景だけに親近感が沸いた。

これはアメリカだけの現象かと言ったらそうでもない日本でもそうだ。

デフファミリーだとあちこちに家族の友達がいて、悪いことをすればすぐに噂が広まったりする。「だから悪いことはできないよ」っていっていたデフファミリーの友人も少なくなかった。だからいつもろう者は言うのだ「ろうコミュニティーは縁を切るには狭すぎる」と。

今思えば、彼らも、ろうコミュニティーにやってきた新参者がいたら「どこの出身で、どこの誰に手話を教わったのか?」を色々聞いていたように思う。そうすることでテリトリーを確認するのだ。あの人に教わったのか、じゃあ、あそこら辺だったら、BさんとDさんあたりかな、と新参者の人間関係を推測したりする。

新参者が、この世界で

「どうやって手話を覚えたの?」「どこで手話を習ってるの?」「どうして手話を習おうと思ったの?」と聞かれたりしたら、光栄に思うべきだ。少なくともあなたの目の前にいるろう者はあなたに関心を寄せている。あなたがどういう人間で、どういう人間関係を持っているのか、を聞き出そうとしている。

手話を学ぶ場所が限られていることは、みんなが周知の事実で、だからこそ色々聞いたりするのだよね。

新参者にはろうの世界に入ったら、人間関係をよーく観察して、言動に気を払っていただきたいものだ。藪から棒にあれこれ首を突っ込んだり、人の話(ろう者の噂話)を広めたりすると、自縄自縛という残念な結果になってしまって、「ろうの世界はもうゴリゴリ」だと去っていくことになる。

私は今日も新参者を相手に、手話を通して、ろう者の世界を伝える努力をしている。

この種がいつか実を結ぶことを願って。

子供に日本手話を

29 4月

一年前にこういう動画を作りましたが、こちらにアップしていませんでした。

クリックするとhttps://youtu.be/1KvxFoNiD-oYoutubeに飛びます

この動画は一部の人に強い感情を引き起こすようです。

自己責任で視聴ください。

手話歌は文化の盗用?

6 3月

このブログを読む前に私の書いたことが必ずしも正しいとは思わないでください。このブログを読むことで手話歌とは?手話とは?と考えるきっかけになってくれれば嬉しい。

伊藤さんが書いてくださった記事[手話歌に対するモヤモヤ]を読んだ上で、以下の文章をお読みください。

炎上した元となるツィートに興味のある方はここをクリック。ここでは個人に対する攻撃を目的とするのではなく、何が問題なのかをろうコミュニティと社会正義という分野から掘り下げることを目的とします。私が大学で教えている分野でもあります。文化の盗用には色々な見方があるということをここに述べておきます。

私は以前のツィートで文化の盗用について指摘しました。

ここで改めて、強調しなければならないのは強力翔さんではなくて

「手話歌=文化の盗用」ならば、

ろうコミュニティはどうするべきなのか、個人個人がどう動けばいいなのか、1)コレまでの「文化の盗用」の例、2)歌という枠組みがもたらすもの、3)説明責任、この三つのポイントにそって、具体的な話をしたいと思います。

1. これまでの「文化の盗用」の例

実はろうコミュニティから「手話という言語」をかすめとって、その利点のみを生かそうとする試みは

歴史を見れば初めてではないんですよね。

以下に具体的な例があります。

ベビーサインの例

手話、ろう者を取り扱ったドラマで聴者がろう者の役をやる

ベビーサインの誕生までの経緯について、ここで少し

手話の研究に関わった人たちが、研究者といっても、言語習得、発達心理学あたりの研究者が多い気がします。手話がろう・難聴児に利益になるだけでなく、聴児にも色々な利点があるということから

Baby sign langauge やそのほかの似たような団体を立ち上げています。1980から90年あたりですね。

ちょっと調べればわかりますが、本や教育教材などを売って、かなりの利益を得ています、ね。

ベビーサインという用語が一つの概念として一人歩きしてますが、サインは英語からのサインランゲージからきたものだし、教えてる手話だって、アメリカ手話から借用している(盗用?)ものです。

手話の良いところを広めるのはいいのですが、肝心のろう者・難聴の子供のニーズは置き去り。

ベビーサインという団体がろう者・難聴者のニーズに対する発言にバックアップしてくれたこともありません。

しかも日本ではアメリカ手話がベビーサインとして教えられています。日本には日本手話があるのだから、日本手話をベビーサインとして教えればいいのでは?はて?それちょっとおかしいんじゃない?とも思うのです。

以前、その質問を投げかけるもその団体は我関せずという姿勢。

次に手話、ろう者を取り扱ったドラマで聴者がろう者の役をやることに対して

「ろう者の役を演じることで、役者として成長できる」

という人がいますが、ろうコミュニティの中で、こういう声は聞いたことがありますか?

下のツィートを見ていただきたいです。

役者がどれだけ手話を練習しても出る違和感。それだけでなく役の設定(時代背景、人物の背景)と手話が合ってないという問題もでます。例えばオレンジディズの聴覚を失った萩尾沙絵(柴咲コウ)は中途難聴の設定、それなのに手話がそれっぽくなかったんですよね。どちらかというと聾学校育ちのろう者が使うような手話。中途難聴者が使うことは、なんというか現実的ではない(中途難聴者の人たちすみません…..🙏)。

そんなことをいうと「それっぽいとはなんだ?」という声が聞こえてきそうですが、そういうことです。

手話は言語なのだから、色々な表現方法がある。手話の中にも「〜っぽさ」があるんですよね。

そういう知識はろうコミュニティーで色んな人と出会わないとわからない。

手話という言語、ろうコミュニティーに敬意を払っている、というのなら、役者は手話を学ぶべきでしょう。少なくとも3年間以上は、手話者と関わった経験や、手話講習会などに参加して、みっちり手話の練習をするべきです。

ろうコミュニティーと接点をもつようにしてほしいです。少なくとも英語をペラペラ話す役をやるとき、短期間で勉強して、役に入ろうとは思わないでしょう?それと同じ理論かな、と思います。

この例にはまた別の概念が関わってきます。「リプリゼンテーション・マターズ(代表には意味がある、代表者がいることが大事である)です。英語ではrepresentation mattersになります。

聴者がろう者の役をやって、役者として一人前と認められることは良いことかもしれませんが、私たちの声は無視ですか?「役者の手話に違和感が…..」「役者は聾者であってほしい」という当事者の私たちの声は重要でない、ということでしょうか。

一人前と認められる方法にしても他に何か手段があるんじゃないでしょうか?

主役はある程度、人を集められる人がいいという人がいるかもしれませんが、ろう者・難聴者たちを主役にしたことがないのだから、比較できませんよね。だってやったことないんだもの。前例がないから….ということは良い言い訳なのかもしれませんね。

最後に肝心のろう者・難聴者たちへのニーズへの理解、手話への認知の方は、どうなんでしょう?

もしろう者がろう者の役をやるならば、当事者がその役を演じることで、より認知度を広める活動ができるのではないでしょうか。現場の人たちのろう者・難聴者への理解も深まります。

ベビーサインの例や手話、ろう者を取り扱ったドラマで聴者がろう者の役をやるという上記の例について文化の盗用であると主張してきましたが、実際に文化の盗用であるか、どうかは、どの枠組みかアプローチにもよります。ここで2番目の要点です。

2. 歌という枠組み

私はツィッターでキム・カーダシアンがkimonoという言葉をブランド名に使用しようとしたことで文化の盗用と批判を受けたことについて記述しました。しばらくしてキムは「敬意を払っている」といって、ブランド名を変えました。日本人、ほっとしたよね?(私もです笑)

アメリカで「着物」という言葉の概念がキムの下着というイメージになっては大変!これが私の思う文化の盗用です。

文化の盗用のイメージ

文化の盗用であるかを決めるのは上記の絵のように、ダイナミックに、大衆のその言葉の意味への理解が変わってしまった時に起こります。(キムさんはブランド名を結局は「キモノ」にしなかったので、そんなことは起こりませんでしたが….)

イメージを決めるのはこのように個人がもつ影響力です。

影響力は何によって左右されるでしょうか?それについて考えてみる必要もありますね。

こういうことはファッション界、音楽界ではよくあることなんですよね。白黒ではなくてグレー、ってのが多いのが実際のところだと思います。

だから、「文化の盗用だ」という話になった時に、注目されるのは、その分野においての社会的地位です。

出身、肌の色、社会経済的地位、性、身体的特徴(例:ろう者か聴者か)などがここに列挙されます。

ここで本題です。

手話歌とは何なのか手話歌は文化の盗用なのか?

このトピックについて、私もここ数年間、頭をひねって考えていました。「手話」ではなくて「手話歌」ですからね。

ここで述べることは、私、当事者としての、一個人の考え方である、ことをここで主張しておきます。

私は歌を歌うことが好きですが、音声言語で歌うときは声に出して歌い、手話で歌うときは手を動かして歌います。声と手話が混ざることはありません。これは私の楽しみ方で、人によって楽しみ方が違う、と思います。

個人でやるレベルならどうぞ、どうぞ勝手に、というのが私の意見です。

ですが、声を出して、歌うたっての手話歌をコンサートでやったり、チケット販売して、利益を生み出すビジネスには個人的にはちょっと違うんじゃないかな、と思います。

ですが、やはりこれも私個人の好み意見にすぎない、と思います。

アメリカでも手話歌に対する論考は様々で、手話歌に対するジャンルや議論がなされています。

コレから手話歌というジャンルが確定されていくのでは、と思います。でも声出して手話はちょっと違うと思う、うん。

私が個人的に好きな手話歌手さん、アンバーさんによる歌(アメリカ手話)をここに貼り付けておきます。アメリカは日本と比較すると、ろう者による手話歌が多いナーというのが私の個人的な見解。

手話歌という言葉を使って、舞台やパフォーマンスをする人たちが「手話」という言葉を取り入れるのならばろうコミュニティーからのフィードバックは重要じゃないでしょうか?

ツィッターからどんなフィードバックが出ているのかをみていきましょう。

宮崎さん:「世間でいわれている手話歌って本当にわからないんですよ。情景もクソもない。」「『ろう』を利用して、手話を利用して利益をえる。私たちの尊厳はどこにあるのでしょうか。手話は誰のための言葉ですか?それを考えていただきたいと思います」(詳細はツィッターをみてくださいね)

上のツィッターをクリックすれば、元のリンクがみれます

かえでさん:「魅力のある人にならないとね」ってどういうこと? 私たちの手話は魅力的でないってこと?

上のツィッターをクリックすれば、元のリンクがみれます

その他にも色々なつぶやきがありましたが、ろうコミュニティーが指摘している内容からふたつにまとめられると思います。

#representationmatters リプリゼンテーション・マターズ:ろう者を手話を利用しないで、ってことですよね。

影響力のある人としての特権があるのだったら、その特権を有効に使ってほしい:コミュニティーへの還元ですね。良いところだけ取るんじゃなくて、ね。

こんなことを書くと

A:「手話好きだし、手話できる人を尊敬しているからこそ、手話歌しても大丈夫じゃないかな」

B:「ちょっと怒りすぎだと思う」

C:「そんなこと言うなら手話歌はもうやっちゃいけないってこと?」

というひとがいそうですね。

そんなことを言う人がいたら、厳しいけれど、もう少し「ろう者と手話の歴史的背景」について勉強してほしいとお伝えします。手話をしていただけで殺されてたり、餓死するほど差別されていた時代がありました。前こそではないものの、無知による差別、不公平さは今も続いています。

影響力のある人なら、その特権を生かして、より多くの人に、自分がやっていることはろう者、ろうコミュニティーから教えてもらったということを伝えてほしい。そして社会的な差別や抑圧に一緒に戦ってほしい。これが最後のポイントに繋がります。

3. 説明責任(Accountability)

影響力のある人ほど、特権があります。特権を使って何をしているのか、決定を下すまでどのような過程を通ったのか、コミュニティーに対して説明をするという責任がともないます。

手話歌という言葉に「手話」が使われていることにより、手話がきちんとした言語であるという認知度を広める妨げ(これも伊藤さんが指摘しておりましたが)になっているという事実に目をつぶらないでください。

具体的な案

  1. 手話歌という言葉を使うのをやめる。
  2. 手話歌という言葉を使うのなら、説明責任を果たしてください
  3. コミュニティーへの還元を明示する(行動でも言葉でも構いません)
説明責任、大事ですよね

最後に手話歌や手話コーラスという言葉を使って、色々活動している人たちへ

ろうコミュニティーが戦っている差別や抑圧に対して我関せずという姿勢を貫いていないですか?この機に、手話について、ろうコミュニティーの中の自分の立ち位置について考える機会になってくれれば、とおもいます。

ファッション界、音楽界では「文化の盗用だ」と批判されることはよくあること。文化の盗用だと批判を受けた時、こういうコミュニティーからのフィードバックを受けて自分のやり方を変えていく、または説明ができる人は、より上へ成長できる人なのではないでしょうか。

前回の投稿『誰が一番、聴者社会で得しているか?』も時間の隙によんでみて欲しいです。

デフファミリー

31 12月

デフファミリーって何?

定義にもいろいろあります。

家族全員(親、子供)がみんな耳が聞こえないというのが条件だという人もいれば

両親が(子供は聴者=コーダ)聞こえなかったら、デフファミリーの条件を満たしているという人もいます。

アメリカの統計によれば

90パーセントのろう児の親が聴者であり、10パーセントの親がろう者

つまり10人の耳が聞こえない子供がいればたった1人がろうの親を持っているわけです。

ゆえに彼らの視点はユニーク

手話という言語を親から引き継ぎ、ろう文化を築いていく基台となる価値観を持つことになる彼らは言語的・文化的少数民族者なのです。

アメリカで紹介されてるデフファミリーという動画が幾つかあります。

今日はその一つを。下に日本語訳があるので併せてご覧になってください。

My Deaf Family “Pilot”はジャレッドというろう親を持つコーダ、ジャレッドの視点で編集されています。

以下より日本語訳と画像です。
スクリーンショット 2016-03-16 14.56.07.png
ジャレッド:僕の名前はジャレッド
僕のお父さんの名前はレスリー、お母さんの名前はブリジェッタ
僕には弟がいてギデオンと言うんだ。サブリナという妹も。
一番下の弟はエイジャというんだ…そしてこれが僕のデフファミリー
スクリーンショット 2020-12-31 午後1.51.33
ろうの家族の中で唯一の聞こえる子供であることが当たり前という感覚なんだ。
スクリーンショット 2020-12-31 午後1.52.53
だって他に比べる家族がいないからね。
ろうの家族に生まれてよかったと言えることがあるとしたら
僕が小さかった頃、問題を起こして両親に連絡を取るぞって言われても「電話しても無駄だよ」って言えたことだね。
お父さん:(手話で)もっと(欲しい)?
ジャレッド: まぁ、僕は自分の両親が好きだし、今の状況と違って欲しかったなぁと思った事なんてない。だけど僕の両親は(僕の置かれている状況が)どんなに難しいのかわからないんだよ。
スクリーンショット 2020-12-31 午後1.54.41
エイジャ:見て!これ作りたい?
ジャレッド:あれを作りたいのかい?
エイジャ:うん
ジャレッド:飛行機を作りたいのかい?
エイジャ:うん
ジャレッド:時々ふと思うのはもし僕の両親が聴者だったら….と思うんだ。
英語が第二言語だと学校の中でやっていくのは難しいからね。
例えば、僕が小さい頃、お父さんは発音の仕方を間違えてたし。
ジャレッド:これを飛行機に使いたいのかい?
エイジャ:僕できないよ
スクリーンショット 2020-12-31 午後1.56.13
ジャレッド:エイジャには僕がいるから、少なくとも正しい発音を教えてあげれるし、だから笑われることもない。
(音楽が流れている)
サブリナ:マイケルジャクソンのダンスを時々見るのが好き。
ジャレッド:両親と一つだけ話し合えないことってやっぱり音楽。歌詞を音楽と一緒に言えるけどやっぱり音楽がどんな感じなのかは説明できない。
お母さん:(マイケルジャクソンの歌詞を手話で歌っているDon’t stop until you get enough)
それで、サブリナが生まれた時、すぐに聴力テストがあったのね。
看護婦さんが険しい表情で部屋を行ったり来たりしていた。
「あなたの娘さん、反応していません」と言ったのよ。
それで私は「あ、ろうなのね」
「全然大丈夫です」って言ったの。
スクリーンショット 2020-12-31 午後1.57.55
ラジオの雑音
でも息子のエイジャが生まれた時、病院のみんなが部屋に入ってきて、「おめでとう!あなたの息子さんは聴力スクリーニングテストに合格しました」と言ってきて、私は「おめでとうですって?」それって他の(耳聞こえない)子供達を持っていた私たちは、おめでとうじゃないっってこと?みたいな。
お父さん:サブリナや
お母さん:サブリナとギデオンは?(不完全ってこと?)
スクリーンショット 2020-12-31 午後1.59.55
エイジャ:やめて
サブリナ:(笑っている)
お母さん:ろう者として、私は(耳が聞こえないってことは)一つの能力だと思ってる。耳が聞こえないことは自分の一部だし、耳が聞こえないことによって人生が豊かになってると思うし、本当にこれでいいって満足してる。
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.02.58
 お母さん:ジオメトリーの宿題の確認しなきゃいけないから
 ジャレッド:どうして?
 お母さん:どうしてって確認しなきゃいけないからよ。
ジャレッド:やらなかった宿題について、色々いってくる親じゃなかったらなぁと思う時もあるよ。
お母さん:点数を上げる必要があるわね。ジオメトリーのクラスでの様子もあとで確認するから。通訳者さんを配置してもらえるようにもお願いするわ。興味があるのよ…
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.13.34
ジャレッド:落ち着いて、お母さん。
お母さん:興味があるわ。
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.13.55
マーリーさん:あなたの両親の反応はどうだったの?
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.16.57
お父さん:私がろう者だとわかった時の私の両親の反応がどうだったかどうかって聞いてるんだよね。まぁ、ものすごくショックを受けていたね。
僕を普通学校へ通わせたし、近くの発音の練習をする教室があってね。大きくて、重くて、鬱陶しい補聴器を与えられたな。
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.23.19
中学校に入って、手話と口話の違いに気づくまで鬱陶しいとは思わなかったね。
マーリーさん:まってまって、ってことは手話の存在を中学校に入るまで知らなかった?
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.29.11
ジャレッド:口話教室があるからろうコミュニティーがはじまったと思ってる。苦しみによる団結、だね。
お父さん:自分の家族とのコミュニケーションはあまりなかったね。手話しないから(お父さんの家族側)。だから僕の子供とのコミュニケーションも難しい。
(シーンがかわる)
(金曜日の放課後)
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.37.29
ジャレッド:お母さんはいつも友達に来てもらいたがってる。
お母さん:クリスに遊びにおいでって言ったの?
ジャレッド:まだ
お母さん:クリスはジャレッドの学校での親友なの。小学校6年生の時からずっと知ってるのよ。でもクリスは私たちの家に来たことがないの。クリスのお母さんにテキストメッセージで聞いてみるわ。
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.41.27
お母さん:彼に渡して。
ジャレッド:今でなきゃいけない理由があるのかよ。なんて言ったのかは分かったから
(一方で近所の聴児とバスケットボールで遊ぶギデオン君)
友達:5から3つになったぞ
(代理電話サービスでピザを注文するお母さん)
お母さん:二つのLサイズのチーズ
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.52.22
友達1水泳やった方がいいぞ
友達2:水泳は得意だからな
友達1:知ってる
友達2:(お前こそ)水泳やった方がいいぞ
友達1スケートで忙しいんだよ
友達3:スケート始めた
ギデオン:ジャレッド ジャレッド ジャレッド なんて言ってるの?
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.53.07
ジャレッド:一番耐えられないのは、堂々と同情されるのこと。レストランに行ったら、いつも聞かれるんだ、何が欲しいのか?って。鬱陶しく感じる。そういう時に同情されてるなって思うんだ。
(シーンが変わる)
スクリーンショット 2020-12-31 午後2.54.08
お母さん:昔、私は聴者に対して、耳を指差して聞こえないっていうことを伝えていた。
そしたら、ほとんどの反応が「あ、ごめんなさい」と言われたり、「なんでもないです」って。
だから、「手話をする」っていうようになったの。周りの反応も(さっき例のと比べて)マシって感じるわね。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.05.25
ギデオン:みんなビデオゲーム上手くないの?誰か上手い人はいるの?
ジャレッド:生意気なんだよ。偉そうに。
(シーンが変わる
土曜日の朝)
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.11.09
お母さん:クリスと幼なじみでしょう。クリスはここに来たことがないわね。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.11.57クリスを呼ぶ時だって口論になったわ。どうして?クリスを呼ぶのがはずかしいの?ぎこちないのは、もしかして、私たちがろう者だから?
ジャレッド:違うよ。全然そんなんじゃないよ。お母さんに言われるままにされるのがいやだったんだ。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.13.12
ジャレッド:僕が思うに、そろそろ僕の世界を持たせてくれてもいいんじゃないかと思うんだ。僕のことについて全て知る必要もないと思うんだ。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.14.39
ギデオン:二つも?ずるいよ!
じゃあ半分頂戴!
僕が先に食べていいかって聞いたのに
二つあるってずるいじゃないか
お母さん:もしケンカするなら、二人ともこれは無し!
ギデオン:もう半分食べちゃってるよ!
お母さん:はい、おしまい。ふざけないで。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.16.34
ギデオン:今日はバスケットボールのトーナメントのためにカリフォルニア聾学校にいくかも。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.24.31
ジャレッド:僕の兄妹はいい学校に行ってると思う。彼らにとってとっても大事なんだ。聴学校では作れないような友達だって作れる。絆も強いし
歓声
太鼓の音
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.25.30
歓声
お母さん:ろう者だからってギデオンとサブリナの将来についてはあまり心配してないわね。だからと言って私の聴児の将来の心配もしてないけど。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.26.49
お父さん:僕は子供たちが心配だよ。みんなについて心配してるよ。彼らが人生の中で成功するかどうか。ろう者か聴者かはあまり関係がないね。
ドラムの音、たくさんの人の歓声
ドラムの音、たくさんの人の歓声
 レフリーの笛を吹く音
 ドラムの音、たくさんの人の歓声
ブザーの音
ジャレッド:ろう者に対する偏見はある。ほとんどの人たちがろう者は何も学ぶことができないと思ってる。
お父さん:聴者が私たちのことについて(ろう者)決めていることが、ある意味で私たちを苦しめていることがよくある。
お母さん:ろう者はね、1日中ずっと24時間、いろんな場所でそういう偏見と立ち向かわなきゃいけない。毎日、ずっとね。言わなくてもわかってるだろうけど。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.27.50
エイジャ:[手話で]愛してるよ
サブリナ:[手話で]すっごく愛してる
お父さん:私たちはデフフッドという言い方が好ましいと思っている。黒人フッド、女性フッドみたいにね。障害という見方よりも内在的なアイデンティティといったほうがいい。
スクリーンショット 2020-12-31 午後3.28.50
サブリナ:私、私の家族が大好き

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誰が一番、聴者社会の中で得してるか?その1

6 8月

誰が得してる?って、言い方はおかしいかもしれない。変な印象を与えるかもしれない。はっきりいっておきたいのは損得勘定で割り切れるものではない、ということ。水掛け論になってしまって、この議題はたくさんの人を消耗させるだけかもしれない。議論しても何も変わらないかもしれない。でも、これはろうコミュニティの中で生きていくならば避けて通れない議題だと思う。

一般でいう「耳の聞こえない人たちのコミュニティ」のことを私、個人はろうコミュニティと言っている。もちろん難聴者もその中に含む、と私は考えている。聴力のあるなしに関係なしに。コーダもいるし、ソーダもいる。聴力が良い悪いに関係なく、「聴力の損失」による社会からの抑圧、スティグマ、その他の色々なラベル(女性、障害者など)を私たちは背負って生きている。

私たちとは誰か?

1)聴者社会の中で「受け入れられやすい」(英語でPassing)耳の軽い人

2)デフファミリーの人

3)聴者の親を持つ難聴者、またろう者

4)3)とは逆にろう者・難聴児を持つ聴親

5)ろう者・難聴者に関わる人たち

6)ソーダ・コーダの人

まず1)聴者社会のなかで受け入れられやすい難聴者について

聴者社会の中で「受け入れられやすい」(英語でPassing)のはいつだって耳の軽い人たちだ。聴力が良くなくても、発音が上手ければ、それはそれで生きやすい。それでも日常生活に支障があるかないかでいうと、ないというわけではない。彼らには彼らなりの生きていく上での工夫があって、それも生きていく上でのスキルなのだというと思う。発音が上手い人たちの多くが、聴者社会の中で発言力を持つ。話す声を持つことは発言力を持つことだから。話す音声言語を持たない人たちから見ると悲しいけどこれは事実なのである。誰だって声を持つ人には耳を傾ける。つらづらと何言ってるのかわからない紙に書かれた書記言葉を読むよりは。

議論したいのはアイデンティティーの問題だ。

彼らの多くが、年をとるにつれて、残存聴力を失っていくので、それと比例して、やはり取り残される感覚、社会から疎外される感覚はあるだろうと予想する。ただその時にもうすでに築いてきた人間関係や、人脈関係があるので、ケースバイケースで生きていく人たちがほとんどなんじゃないだろうか。その場合、手話を覚えなくても、ろうコミュニティを、ろう者の存在を見ないふりをしても大丈夫なんだろう。ある人はろうコミュニティの中で積極的に友人を作ろうとするかもしれない。だがその時に受け入れる皿となるべき、ろうコミュニティへの門は狭く、簡単には開かない。ろうコミュニティはNew Faceには厳しい(これについてはまた勇気があれば、深く書きたい….)。

「手話が下手」「何を言っているのかわからない」「私たち(ろう者)と同じではない」

実際に投げかけられた言葉の多くは聴者社会に「受け入れられやすい」難聴者にとって馴染みのある言葉だと私は予想する。これらの反応は、自分とは異なる異質性を持つものに対する畏怖感、また自分を守ろうとする拒絶反応の例である。

申し訳ないが、今の日本のろう社会が、彼らにとって受け入れられていると感じる社会になるにはあと数年はかかるだろう。ろう社会を担う若い人たちには、様々なろう者のあり方について考える機会があるべきだ。ろう者とは何か?について議論する場所があるべきだ。手話について考え、知識を深める授業があるべきだ。そういう知識を増やしていくことが、「言語はこうであるべき」という固定観念から「言語の中にもいろいろあるね」というスタンスになる。

私は、聴者社会に受け入れられやすい側の当事者ではないので、以下に列挙するのはあくまでも私が見てきたパターンの極端な例である。誤解のないように難聴者にもいろいろいると言うことはここに述べておきたい。

例1:聴力のレベルは重度なのだけれど、かなり幼児期の早いうちからトレーニングを受けてきて、本人も相当な努力をしてきたから、普段、音声言語でのコミュニケーションができる。少し残された聴力があるから、自分のことをろう者とは思わない。

例2:軽度の難聴で、音声言語の獲得に苦労はしなかった。気づいたらはなせていた。普段のコミュニケーションができるが、いろいろな工夫が必要。例)片耳が聞こえにくいから、聞こえる方で話して貰うなど。

聴者にとっては例1と例2には大差があるようには見えないというかもしれない。だが、私から見れば、かなり差がある。経験の差に。例1の場合、円滑なコミュニケーションを図るため、視覚的なツールとして手話、キュードスピーチ、指文字などを使う。でないと難しい。例2は多分必要ない。

ここで私が強調したいのは、主題である。一般でいう「耳の聞こえない人たちのコミュニティ」のことを私はろうコミュニティと言っている。もちろん難聴者も、その中に含む、と私は考えている。聴力のあるなしに関係なしに手話をしている人たちもろうコミュニティのメンバーの一員だ、例えばコーダとか。もしコーダが自分がろう者だっていうのなら、それで構わない、と私は思っている。聴力が良い悪いに関係なく、「聴力の損失」「言語の損失」による社会からの偏見、抑圧、スティグマ、その他諸々の負担、つらさを私たちは抱えて生きている。

このブログを読んでいる人たちの中に、自分は聴者の社会に「受け入れやすい耳の軽い人たち」だと思う人がいたら、いくつかの質問をするから、それらの質問が’自分の経験に当てはまるかどうかについて考えてほしい。

これはチェックリストではない。人生の中で一回はこれらの要項について考える機会は必要だ。もしこれらに書いてある要項について考え、自分がもし、要項に当てはまることが多い、と感じたなら、自分が持つ受け入れられやすさ(Passing)を自覚し、よりよい社会のために、他の人のために使って欲しい。

これらに書いてある要項が自分に当てはまると予想したが、意外と当てはまらなかった人たちへ。なぜ、あなたが自分を聴者から受け入れられやすいと感じているのか、一度考えてみてはどうだろうか。あなたは自分が思っているよりも、周りから偏見を受け、差別を受けているはず。あなたのような経験をしている人たちはあなたが感じている数よりももっと多くいるはず。ろうコミュニティの中で、たくさんの人とできるだけ出会う機会を持つ努力をして欲しい。それはあなたがあなた自身の位置付けをより深く理解する手助けとなるはず。

  1. 自分がいつも一緒にいるグループは聴者であるか、または聴者らしく振舞うのが上手だ。
  2. 今から思えば、聴者から、話せる、聞けることで必要以上に「注目を浴びて」きた。
  3. スーパーマーケットや、ショッピングセンターなどにいるとき、「発音が変だから」 もしくは「手話をしているから」という理由でジロジロ見られたり、笑われたことがない。(ろう者からはカウントしない)
  4. 障害者をターゲットにした犯罪の被害者にされたことがない。
  5. 他のろう者・難聴者から「難聴者に見えない」と言われたことがある。
  6. ろう者の声ではなく、普通に声を出す(聴者らしく)ことができる
  7. ろう者に対して、難聴者の経験を必要以上に説明することがある。
  8. 難聴者の経験の説明を求められた時、必要以上に自分の経験がそれらしくみえるように話したことがある。
  9. ほとんどの友人が聴者である
  10. ろう・難聴者の声を代表して、声を出すことがある。
  11. 代表的な役割を与えられた時、実際にろう者、難聴者と話すことがない。
  12. ろう・難聴者から「あなたの発言したことで傷ついている」と言われたことがある

注意:これはチェックリストではなくて、あなたの経験を引き出し、自分の位置付けを考え直す機会を与えるものです。

注意:あなたの経験が重度難聴者のと違うからといって、あなたが今まで経験してきた社会からの抑圧を否定するものではありません。またこれらの 受け入れやすさ(passing)があるからといって、難聴者としてのラベル、アイデンティティーを外せといっているわけではありません。コミュニティーの中で自分の声が聞かれやすいという特権を持っていることを自覚して、自分を位置付けることは、長期的に見て大事だということをここに記しておきたい。

次は2.デフファミリーについて書きます

コーダについて

8 3月

コーダとは英語の略語CODAからきています。

Children of Deaf Adultsで、ろう親を持つ子供という意味になります。

 

ろうコミュニティの中で、CODA(コーダ)は耳が聞こえない親を持つ聴者の子供という意味で理解されているのですが

英語の直訳を見ると「ろう親を持つ子供」となるのでその意味で理解すれば、ろう児もコーダになります。私はコーダと言われたら、一応、聴者だよね?と確認を取るのですが、だいたいが聴児でろう児だったことはないです。ろう児だったらコーダという言い方をせず、ろう児っていうのがほとんどだと思うので、まぁ、それも驚くことでもないのですが。

コーダの誇りというタイトルの映画、時間のある時にご覧ください。

この映画はラチェルというコーダの子が全米高校映画コンテストのために作ったもので

みごとに優秀作をいただいたものだそうです。

以下、日本語訳です

 

(音のない状態で映像が流れる)
これはサイレントムービーではありません
これがどのようにしてろう者がこの世界を理解しているかなのです。
全てが視覚的で、雑音、色々な声、音はありません。

スクリーンショット 2016-03-07 13.15.48

私の名前はラチェル・ベアー、14歳
私の兄 ヤコブ、そしてサラという妹がいます。
そして私の耳が聞こえない両親、ジュリーとジョーイ
スクリーンショット 2016-03-07 13.21.11.png
私の兄妹はCODA(コーダ)
コーダとはChildren of Deaf Adultsの略語です。
ヤコブ、サラ、私はコーダとして、ろうコミュニティの中にいる多くのろう者と出会ってきました。
ベイエリアにあるろうコミュニティは広く、だからコーダのコミュニティーもそれに伴って存在しています。
 らt
コーダの誇りにもいろいろあって
例えば、マイケル・ベレスとシェリー・ヒックスによるハーフハーフのデュオに見られるソングーサイン(song-signing)
ハーフハーフとは半分が聴者で半分がろう者ということ
ではコーダのあり方について説明してくれるマイケルさんを紹介しましょう。
スクリーンショット 2016-03-07 14.18.27.png
こんにちは、僕はマイケル・ベレス コーダとして誇りを持っています。
コーダのことについて知っていない人が多いでしょう。
でも僕たちは
僕たち自身のことについて
このユニークなコミュニティーについて
誇りを持っています。
今日は君たちにそのことについて色々教えてあげるよ。

言語について

僕はコーダとして、アメリカ手話の中で育ってきたんだ。
アメリカ手話が第一言語で、英語が第二言語
ほとんどのコーダがバイリンガルで育ってきて
二つのコミュニケーションモード、つまり英語とアメリカ手話を日常で使っているよ。
スクリーンショット 2016-03-07 14.27.02.png
(ダンテ・ブルックス君)
僕の両親は(僕に)アメリカ手話を教えてなきゃいけなかったんだ。
でなきゃ、コミュニケーションが全く取れなかったからね。
もし教えてくれなかったら、もっと難しかっただろうね。
だって僕が覚えた最初の言語は(英語でなくて)アメリカ手話だったからね
スクリーンショット 2016-03-07 19.40.46.png
(ジャクソン アンダーソン コバック)
普通の人が英語を学んで育つように、アメリカ手話を学んで育ったんだ。
スクリーンショット 2016-03-07 19.40.27.png
(ダニエレ・モイヤー)
(アメリカ手話を)学習した覚えなんてないわね。
ただ、二つの言語を知っていて、そうやって育ったということは覚えてる。
これでアメリカ手話がわかる、英語がわかる、みたいな、そうやって気づいた瞬間なんてなかったわ。二つの言語を知っていて、そうして育ったのよ。
(ダンテ・ブルックス君)
ひとつ以上の言語を知っている今
普通に話すこともできるし、アメリカ手話を使うこともできる
ろう者とコミュニケーションをとるとき、 ろう者と話すときもやはり普通に話すことができる
それはやはり(僕が二つの言語を)両方知っているから

二つの言語の間で

スクリーンショット 2016-03-07 19.57.10.png
 (マイケル・ベレス)
 二つの言語を知っていることについてだけど、個人的にはアメリカ手話を使う方が好きで
それは如何してかというとやはりそれはアメリカ手話が僕にとってネィティブ言語だから
それは、英語と比べて、明らかに自然な成り行きだし
やはり一番使っていて心地がいい。
使っている時が一番、自分らしさを出せる。
それに(使っている時は)英語を使うよりも自分らしい様々な表現ができる。
スクリーンショット 2016-03-07 19.58.56.png
(ダンテ・ブルックス君)
英語よりもアメリカ手話を使う方が好きなんだ。
だってアメリカ手話が第一言語だし、使っていて心地がいいんだ。
スクリーンショット 2016-03-07 20.00.10
(ジャネット マックスウェル)
英語は社会的に使う言語です。でも手話は手話通訳者として職業的に使う言語です。
そして私にはあれよりもこれがいいという好みの言語がありません。
二つの言語を使って、コミュニケーションをとるということを楽しんでいます。
五分五分といったところかしら。
スクリーンショット 2016-03-07 20.06.51.png
(ジャロッド・モイヤー)
僕が思うに、英語かアメリカ手話を使う状況によると思うんだ。
友達と一緒にいる時は英語を使うだろうし。
スクリーンショット 2016-03-07 20.10.45.png
(ジェシカ・スマリオ)
私の兄弟は聴者だし、一緒にいる時は話すわ。
でもお父さんが部屋に入ってきたら、手話で話し始めるわ。
好みの言語なんてないわ。
でも私の育った環境と言語を見れば
(ジャクソン・アンダーソン・コバック)
僕の友人たちの多くは聴者だし、彼らはアメリカ手話なんて全く知らないよ。でも僕にとってはアメリカ手話を使う方が好きだな。自分らしい表現ができるし。

手話やろう者を知らない聴者たちのリアクション

(マイケル・ベレス)
コーダとして手話は自然なことなのです。私たちは日常生活で手話を見ています。
でもろう者にあったことのない聴者からにしたら、ろう文化について全く知らないし、手話についても全く知らないでしょう。だから彼らからにしたらそれは心地が良くないものかもしれません。
また、彼らの初めてろう者にであった時の彼らのリアクションは本当に様々でしょう。
(ジャロッド・モイヤー)
僕の両親がろう者だってわかったら、いつも色々聞いてくるんだ。
どうやってテレビを見るの?どうやって車の運転をするの?みたいな
(ジェシカ・スマリオ)
あ、ゴメンなさいって謝られるか、色々聞いてくる人もいるわね。
スクリーンショット 2016-03-07 20.34.02.png
(ジャネット マックスウェル)
点字が読めるの?
運転できる?
本当に見当違いの質問をしてくるのよ
私の両親には全く関係のないことなのよ。
手話について全く知らなくて、バイリンガルとは何かについて全く知らない人たちの考えることよね。
(ジェシカ・スマリオ)
聞いちゃいけないことを聞いたと思って
ゴメンなさいって謝ってくる人もいるわね
それでそれ以上何も聞いてこないのよ
(ダンテ・ブルックス君)
(変な顔をする)こういう風にリアクションすることが多いよ
スクリーンショット 2016-03-07 21.18.51.png
(ミキタ・バンダー・コートーエストラダ)
ほとんどがびっくりしたリアクションをする
だって私の(学校の)成績がいいから
ほとんどの人はろう者があんまり物事を知らないと思ってるの。

偏見

スクリーンショット 2016-03-07 21.28.05.png
(マイケル・ベレス)
ろう者に対するステレオタイプを持っている人は沢山いる。
多くの聴者はろう[deafness]を障害としてみなす。
ろう者たちは他の人たちと同様にコミュニケーションをとることができないと思っている人が多いのです。
でも実際ろう者であるということはそのように限定されていることではないのです。
彼らはろう者かもしれないが、だからと言って「静かな人」[silent]ではありません。
(ジャロッド・モイヤー)
自分の親が受け身だと思った事なんてないよ。彼らは自分の意見を持ってる。
両親ともに大学卒だし、良い教育を受けている。
(ダニエレ・モイヤー)
お母さんもお父さんもシッカリした人よ。
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(ミキタ・バンダー・コートーエストラダ)
ろう者だからと言って、馬鹿なわけじゃない。
私のお母さんは数学が得意で、私に数学を教えてくれるの。
(ジェシカ・スマリオ)
私のお父さんはとても賢い人よ。
大学へ行ったし、コンピュタープログラマーなのよ。
お母さんだって教育を受けたし
彼女自身で暴力を受けた女性のための非営利チャリティーだって作ったのよ。
彼女は全米で暴力を受けたろう女性のための声になってるのよ。
絶対にろう者だから受け身ってなわけじゃないわ。

二つの文化の中で生きる〜コーダという集族

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(マイケル・ベレス)
コーダであるということは
僕にとって集族の一部であることなんだ。
言語と文化に富んだ集族
そしてそれは(その集族は)僕の魂に根付いているんだ。
それはずっと変わらないことなんだよ。
無視できないことなんだ。
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(ジャクソン アンダーソン コバック)
聴者とろう者の両方の二つの文化に僕は属している。
それってすごいことだと思うんだ。
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ジャネット マックスウェル)
コーダであるということは私にとって重要なことよ。
自分の親を誇りに思う機会を与えてくれたわ。
おじさん、おばさん、従兄弟、そしておじいちゃんおばあちゃんもね。
みんなお母さん側の方でろう者なの。
だから自分の家族と繋がることができたし
それは自分の両親との繋がりについてもそうなのよ。
だから自分がコーダであることに誇りを持っているわ。
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それは聴者の世界でコミュニケーションをとるだけでなく
ろう者の世界においても(コミュニケーションをとるのを)助けてくれる。
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(ジャネット マックスウェル)
それに私はコーダであることを名誉に思う。
私たちのような人は多くないし、狭いコミュニティーの中だから
ろうコミュニティは密接につながっていて
私が思うにコーダ達も同様に特色を持ってつながっている。
私たちが作っている絆や繋がりは
親がろう者であるということや
同じような経験を共有しているから。
だからコーダであることを誇りに思う。

共有した経験

(マイケル・ベレス)
だから、もちろん
私たちはろう者の親を持つがゆえに
ユニークで、似たような経験を共有している。
(ジャクソン アンダーソン コバック)
時々、僕の義理の父がラジオをつけて踊り始めるんだけど
それがある時、ただの雑音だったんだ。でもそれでも彼は踊ってたんだよ。
ジャネット マックスウェル)
ろうの両親とろうコミュニティはとても近いもので、つながっているのです。
だから社会的な交流の場で、親が(友達と)あった時、なかなか帰らないのよ。
それは『ろう者式のサヨナラの仕方』[deaf goodbye]って言われてるの。
で、私の親はいつも「五分したら行くぞー」っていうんだけど
二十分経ってもまだいるのよ。
それでまた「あともう少ししたらいくぞー」っていうの
それで私たちが(コーダ)「早くしてよー」っていうんだけど
「わかった、わかった、あともう少しだから」って…
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(ダニエレ・モイヤー)
時々私のろうの両親についての面白い話をする時
どんな感じかって?
いつもこんな感じ。
私の親が通訳を頼んできたとき
でも私は通訳が全然ダメで
特にウェイトレスさんに対して
時々、お母さんがご飯にいちゃもんをつける時があって
でも私はこれが嫌で
だから私は「彼女はちょっと違うものが欲しいみたいです」
っていうの。
曖昧に言うんだけど
でもウェイトレスさんは
お母さんの(ご飯に対する)表情をはっきりと見れるわけよ
でも私は冷静に「おねがいします」って
ウェイトレスさん、またお母さんの怒った顔を見て、
私が「はい、お願いします」っていうのを見て
ウェイトレスさんが混乱してるのがわかるんだけど
でも仕方ないわよね(笑)。
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(マイケル・ベレス)
いつでも私たちはろう文化を、そして私たちのコーダとしてのアイデンティティを大切にしています。

 手話で自己紹介 そしてエンディング

(それぞれが各自、手話で自己紹介)
(場面変わり、三人のコーダの子供が音声英語で会話
親が部屋に入ってきた途端、みんなが手話に切り替える)

 

 

 

 

耳の聞こえないこどもに本の読み聞かせをするときのルール

4 3月

耳の聞こえない・聞こえにくい子供たちに本を読み聞かせする時のルール15項目はデビッド R シュレパーという研究者によって提唱されたもの。

ろう親を持つろう児のリテラシー能力が優れているのは、言語が両者の間(親と子供の)で共有されているだけでなく、ろうの親がろうの子供に読み聞かせをする時のノウハウを身につけている違いないと仮説を立てたのが始まりとされています。

そして実際に親子の絵本読み聞かせの様子を観察することによって、まとめられたのがこの15項目のルール。

この15項目をろう親は本を読んであげる時に自然にやっているとされています。

 

本を読むときのルール15項目 (Schleper, 1997)

  1. 手話を通して、(書記言語)話を訳する。(概念に集中し、指文字を多く使うなど)
  2. 両言語を視覚的に見えるようにする。(子供が書記言語と絵の両方をきちんと見えるようにするなど)
  3. 言葉(テキスト)のその意味を詳しく説明する(書かれているその言葉の意味がわかるように説明するなど)
  4. はじめに「ストーリーを手話る」のを、何回かした後に、「ストーリーを読ませる」ことに留意する流れ。(最初にお話そのものに集中して手話をし、その後に書記言語に集中した説明をするなど)
  5. 子供のリードに任せる。(子供が何を読みたいのか、それが一番大切。子供が読みたいのはたくさんあるページの一部だけかもしれない。それでもいい。子供に任せよう)
  6. その文章が意味するものをはっきりと示す。(隠された意味をはっきりしめそう)
  7. ストーリーに合わせて手話の場所位置を変える。(本のページに対して手話をする時もあるし、子供に対して手話をする時もあるし、いつも通りの手話をする時も)
  8. 手話のスタイルを本に合わせて変える。(ストーリーをより面白いものにするために、表情を豊かにしてキャラクターを表現するなど)
  9. 本の中で紹介されている概念を日常生活につなげる。(ストーリーのキャラクターを実際のキャラクターにつなげるなど)
  10. 集中力を持続するためのストラテジーを使う。(肩を叩いたり、手を振ることで注意をこちらに向けるなど)
  11. 視線を使って関心を引き寄せる。(読んでる間、子供をみる)
  12. ロールプレイを尽くして、色々な概念へと拡張させる。(本を読んだ後、実際に行動をしてみせるなど)
  13. 言葉のあやを手話の様々な表現で表現する。(同じような言葉を使うなら、様々な手話の表現で理解させるなど)
  14. 肯定的で常に学ばさせようとする姿勢を(ストーリについてどう思うか、また子供の視点に肯定的でいる)
  15. 子供に対して高い意識を持つ(読めるようになると信じる事)

参照先:
Schleper, D. R. (1997). Reading to Deaf Children: Learning from Deaf Adults. Washington, DC: Laurent Clerc National Deaf Education Center at Gallaudet University. (ISBN 0-88095-212-1)

動画を追加しました。