「聾唖」から「ろう者」の言語 うつくしい手話への移り変わり 

手話は「ろう者の言語」です。

これまでの言語学的/文化的視点での「ろう者」像は90年代ごろまで語られてきませんでした。

 

しかし

戦後の高度経済成長とともに

人々のろう者/難聴者に対する「福祉的」「医学的」視点は

変貌ととげ「文化的」「言語学的」視点へと

 

1800年代から1900年代
ろう者の生活、教育、個人をとりまく社会のあり方は

色々な意味で変動をとげていました。

 

戦後、手話そのものをツールとして教えていこうという教育アプローチの流れが
スペインから始まり、北アメリカへ、そして日本へ。
(指文字はここから)

戦後、口話アプローチ法をサポートする動きも盛んに。
イタリアで開かれたミラノ会議
議員の方が全員一致で
手話アプローチの全面否定を発表したからです。

これが、日本の聴覚障害者の教育アプローチにおける手話の全面否定につながり
そして日本でも多くのろう者が手話を禁止されて、学校では口話を強要されました。
詳しくはここのプログでも紹介されてます。
「手話」そのものは推奨されませんでした。

 

そして、これは多くの「闇の口話時代」の被害者を生み出してきました。
学校でよく手を叩かれたというような
今でいうと「教師からの虐待」はもちろん、
ろうの子どもが生まれるかもしれないからという理由で
卵巣摘出手術を本人の知らない間で行われたという人や、
恥ずかしいからという理由で、ずっと隔離されつづけてきた女性などもいます。

このことは多くの米国の書籍にて書かれています。
日本の書籍でもちらほらと。

多くのろう者が「被害者意識」を持っているとは限りませんが
要は本人に「被」となる意識があるかどうかですから。

具体的な引用ソース先としては

米国の本ですが、
“A PLACE OF THEIR OWN”

BY JOHN VICKREY VAN CLEVE &BARRY A. CROUCH”

があります。
洋書ですが、薄い本で
1800年台から1900年代後半の聾歴史について

論じられてます。

この流れで、日本でも手話に対して、厳しい声が上がりました。
沢山のろう者が、沢山の手話を推奨する教育者たちが
ろう者の自然な言語としての手話の重要性を訴え続けてきました。
戦後のことですから 1940年ごろのことです。

「我が指のオーケストラ」はおすすめです!
当時の歴史を知るにはいいですよぉ。
漫画なのでよみやすーーい!

戦後の経済成長とともに

人々のろう者/難聴者に対する「福祉的」「医学的」視点は
変貌をとげ「文化的」「言語学的」視点へと移り変わってきたわけです。

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